後部座席に乗った僕は重いバックパックを背負っており、がっしりとした体躯のIさんの運転でも、交通量の多いチェンマイ市街をミニバイクで走らせるのは難しかったに違いないが、それでも彼はときどき「ここのカオソーイは美味しいんですよ」「この先には安くて新鮮なシェイク屋があるんです」などと、僕に色々と気遣いながら話しかけてくれるのであった。 彼の宿泊先であるSoHostelに到着、このホテルはロイクロ通り沿いにあり、ドミトリーからスゥイートルームまで様々な部屋が用意されており、グループから一人旅まで受け入れられ、キッチンやミーティングルームなどの共用部分も広くて清潔で、さらにナイトバザールの場所までも近く、旅行者にとっては至便で快適なようだ。 僕の宿はすぐ近くに有り、ロイクロ通りから路地を入って少し歩いたところにあるGREEN DAYSゲストハウス、チェックインは午後からだが、一階のカフェでランチを食べてから入る予定で、それまでの間、このSoHostelの一階のロビーでしばらく居させてもらうことにした。 Iさんのこの日の予定は、彼の旅の知り合いでM江さんという女の子と一緒にチェンマイ郊外の温泉へ行くのだとか、非常に羨ましい限りである。 「では晩御飯を一緒に食べましょうよ。安くてまあまあ美味しいタイ料理店が旧市街の入り口付近にあるんです」 僕が提案すると、「ではそうしましょう」ということになった。今夜は昨秋のチェンマイ旅行で知り合ったシゲさんと会う予定があるが、食事は人数が多い方が楽しい。 Iさんと旅話などを交わしているうちに、間もなくどこからともなくM江さんが颯爽と登場した。 「こんにちは、M江です」 「どうもPeroです、じゃなかった、藤井です。よろしくね」 彼女は笑顔が素敵な小柄な女の子で、一見してあるタレントに似ているなと思った。すぐにそのタレントの名前が浮かばなかったが、額に手を当てて思い起こしてみると、最近NHKの連続ドラマにも出演している大阪出身のタレントで、僕も大ファンの高畑充希に似ているのであった。僕はたちまち嬉しくなってしまった。 「それじゃ、僕はそろそろチェックインをします。ではおふたりで良い温泉を!」 「では、温泉から帰ってきたらフェイスブックのメッセンジャーを送ります」 二人と別れて再びバックパックを背負って懐かしいSoi3路地を歩くと、ロイクロマッサージが左手、そして右手にGREEN DAYSゲストハウスが見えてきた。 「お疲れ様です。チェックインは大丈夫ですよ」 オーナーの敦子さんが厨房から出てきて部屋の鍵を渡してくれた。 「こんにちは、お世話になります。ともかくお腹がすいているのでアボガド野菜サンドとチャイをお願いします」 ここのカフェメニューは素晴らしく、豊富なメニューからどれを注文しようかと迷ってしまうくらいで、昨年も滞在中いろいろと食べてみたが、まだまだメニュー制覇までは数年を要すと思われるくらいである。 GREEN DAYSのカフェメニュー⇒ http://www.green-days.org/cafe/cafe-menu/ カフェの書棚にはたくさんの書籍やガイドブックなどが置かれていて、食べながら本を読むのも楽しみの一つである。さらに店には猫ちゃんが常時店番をしていて(と言っても大抵が寝ているのだが)、その姿を見るだけでも癒される。 アボガド野菜サンドを食べたあとチャイを飲みながらのんびりしていると、ひとりの年配の日本人男性がやってきて、となりの日本女性ふたりの席の向こうに座り、気軽に何やら話しかけているのが聞こえた。 ところが日本人女性ふたりのうちのひとりが急に「お願いですから私たちふたりの時間を邪魔しないでください。失礼じゃないですか!」と大きな声で年配の日本人男性に向かって言うのであった。 僕はといえば、やはりその日本人男性に負けずとも劣らずの年齢でもあり、自然と身体がふたりの女性の反対側に向いていくのが分かった。本当に気の強い女性は恐ろしいなぁ、クワバラクワバラ、僕も結構旅先では気軽に女性に声をかけるタイプだけに、これからは気を付けないといけないなと思った次第である。 さて、チャイも飲みほしたのでお勘定をして(合計160バーツ、約500円でしょうか)、今日からの僕の部屋に向かった。GREEN DAYSゲストハウスはカフェのある建物内と、同じ並びの二軒隣に大きなゲストハウスとカフェのメニューを作る厨房などがある。 僕の部屋は昨年と同様に一階である。宿泊者用の大きな厨房やミーティングルームに屋外リビングなど、ここはあらゆる面で快適な宿である。早速バックパックを降ろしてシャワーで汗を流した。 |
十二 チェンマイ初日の夜 |
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シゲさんは東京で美顔・小顔マッサージや整体の仕事を行っていて、昨年も今年も、タイマッサージの短期習得でチェンマイに来ている。昨年は、何度か泊まっていたチェンマイ郊外のバニラゲストハウスからGREEN DAYSゲストハウスに気分転換で宿を移ったところ、初日に一階のリビングで声をかけられ、バンコクに戻るまでの三日間、同じ宿だった日本人の女の子達も含めて楽しく過ごせたのであった。 夕方四時を過ぎてシゲさんから再びLineが届き、GREEN DAYSの前に来ているとのこと、急いで入口に駆けつけて錠を外して中に招き入れた。知り合ってから東京で何度も会っているから「久し振り〜」というわけではなく、「どうも」である。ところが彼はどうやら体調を壊しているようで、「下痢と少し体が熱っぽいんですよ」と言う。宿は旧市街に入ってすぐのゲストハウスで、今回習得のために通っているタイマッサージ教室の近くだとか。 「今夜はちょっと食事をお付き合い出来そうにないんです。すみません、明日までには治しておきます」 「それは心配ですね。無理しないようにしてください。明日また連絡しますから」 というわけで、少し旅話などを交わしたあと、シゲさんは帰っていった。 夕方五時半を過ぎて、IさんがM江さんと一緒にGREEN DAYSゲストハウスの前までやってきてくれた。急いで支度をする僕、「やあ、温泉はどうでした?」とIさんに言うと「普通の小さな湯船に温泉のお湯を溜めて入るんです」と言う。つまり、日本の温泉を想像すると間違いであることが分かった。 「でも温泉でしょ」 「温泉なんですよ」とM江さんがニコニコしながら満足げに仰る。それは良かった。 ロイクロ通りに出ると、夕日が沈むころのチェンマイの街は、これから始まるナイトタイムを楽しもうとする欧米人やタイ人たちが歩き、少し涼しい風が頬を撫ぜて快適に思うのであった。 ロイクロ通りを旧市街方面に七、八分も歩けばお掘りにあたる。そこを右に折れて少し歩くと広々としたタイ料理レストランがある。昨年もここに二度ばかり来たので、料金の割には味が良いのは分かっている。 「この店なんですよ」 「広いですね」 早速ビアチャーンを注文、三人のグラスを「カチーン」と合わせて乾杯である。我々が入った時間はまだ早かったので、店は空席がたくさんあったが、しばらくするとどんどん埋まってくる。やっぱりこの店は人気のようだ。 空芯菜炒めとトムヤムクン、グリーンカレー、カオニャオ、そしてもちろんソムタム(青いパパイヤのサラダ)を注文、ビールが進む。M江さんもそこそこお飲みになれるようであった。 ◆食べたものの一部 (´∀`)M江さんは、前号でも記述したがすごくキュートな女の子で、笑顔が高畑充希に似ている。個人情報は書けないが、北海道は小樽の出身で、沖縄方面やあちこちのゲストハウスのお手伝いなどをしながら日本を旅しているようだ。(かなり書いてしまったが) 不思議な経歴と雰囲気をお持ちで、Iさんと知り合ったのはおそらく石垣島とか与論島とかの島関連だと思うが(かなりいい加減だが)、今回はチェンマイをひとり旅、数日過ごしてからバンコクへ戻ってから帰国されるとか。 「ではバンコクで宿が決まっていなかったら、僕がときどき泊まるEZゲストハウスに来てください」 「はーい、ありがとうございます」 Iさんは明日の午後にはチェンマイを離れて帰国される予定とかで、仕事と旅とをうまく調整しながら、日本と世界(主に東南アジア)を飛び回っている。 タイ料理店を出て、M江さんが泊まっているゲストハウスの近くまで送ろうということになった。旧市街に入って、ラーチャマンカ通りを歩いた。穏やかな雰囲気の夜だった。 「時間はまだ早いから、もう少しだけ飲みましょうよ」 「そうしましょう」 通りにあった小さなカフェバーに僕たちは飛び込んだ。小ぢんまりとした店だがウッド基調で感じがよく、店員さんも感じが良かった。メニューを見ると「天ぷら」なんてのがあって、お腹がいっぱいだったが野菜の天ぷらとビアチャーン、そしてM江さんはオレンジのカクテル風のものを注文された。 ◆野菜の天ぷらとビアチャーン◆IさんとM江さん(すみません、無断掲載)と変なオヤジ 「やっぱりチェンマイはいいね〜」 「チェンマイはもちろん良いですが、旅そのものがいいんですよね〜」 「そうかも知れませんね」 「ずっと同じ日常で、仕事だけでなくいろんな出来事で疲れたときは旅行なんですよ。それも日本ではなく、こういうアジアを旅したくなるんです」 IさんもM江さんも僕も同じような意見であった。 カフェバーで一時間程度様々な話をして店を出、M江さんのゲストハウス近くまで送っていった。 「明日明後日と、もし時間があればどこかに行きましょう」 そう彼女に言った。 「はーい」と言ってM江さんは路地に消えた。 僕とIさんとは、夜が深くなっていくチェンマイの街をゲストハウスの方へ向かって歩いた。 |
十三 |
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旅の七日目、十一月十一日の火曜日、目が覚めた時刻はすでに十時を過ぎていた。日本での休日は、この野郎とばかりに昼前まで死んだように寝ることはよくあるが、旅先では寝坊はもったいない。 でも、やっぱり昨夜は長時間のバス移動や、チェンマイで旅仲間や可愛い女の子と知り合ったことなどで、こころも身体もずいぶんと興奮し、疲れていたのだろう。 「昨夜はお疲れ様でした。今回は助かりました。疲れて寝てしまっていて、カオソーイは断念します。気を付けて帰国してください」 するとすぐに返信が届いた。 「こちらこそ。ただ今、チェンマイ空港のラウンジです。またアジアのどこかで飲みましょう」 便利な時代になったことを改めて感じる。スマホがなかったときは、ネットカフェでやり取りして、ここチェンマイでも最初に訪れた2003年は、日本人の知り合いと何度も何度もネットカフェでやり取りしてようやく彼の泊まっていた宿にたどり着いたことを思い出す。 昼過ぎまで締め切りが近づいている小説を書きながらグダグダしていたが、お腹がすいたのでGREEN DAYSのカフェへ、野菜カレーとマンゴースムージーを注文した。運ばれてきたマンゴースムージーは巨大で濃厚な味、これは素晴らしい。そして野菜カレーも絶品でした。 朝食兼昼食に満足したところで、昨夜知り合ったM江さんにフェイスブックメッセンジャーを送った。 「おはよう、昨夜はありがとう。もし予定がなければ、午後から街歩きなんかしませんか〜?」 するとIさんと同様にすぐに返信が届いた。すごいね、フェイスブックメッセンジャー。 「藤井さ〜ん、せっかくのお誘いすみません。朝から散歩に出ていて今戻ったところなんです。これから昼寝します。タイミングが合いましたらまた〜」 振られてしまいました。(涙) でもまあ、これが最後ではありません。この先、いろいろまた出てきますよ。 さて、そうなると今日は夕方まで小説家に徹しようとゲストハウスに戻り、日本の休日みたいにすっかり引きこもって三時間ほど原稿を書いた。(書いたといってもPCのキーボードを叩くのだけど) 昨年もチェンマイまでパソコンを持ってきて、バニラゲストハウスで数日引きこもって小説を書き続けたことが懐かしい。日本にいるより没頭できるのが不思議である。 十七時を過ぎてから、シゲさんからLineが飛んできた。 「昨日はどうも。だいぶ回復しましたよ。飲酒は乾杯オンリーかも知れませんが、十九時に例の食堂でいかがですか?」 例の食堂とは、昨夜Iさんたちと訪れたタイ料理屋である。「では十九時に店の前で」と返信した。 この時期、タイは乾季に入ったところで、滞在中はずっと好天が続いていた。この日も一日中カンカンと暑い日差しが照りつけていたが、ゲストハウスの部屋は涼しくて、天井の大きなファンをゆっくりと回す程度で快適であった。 十九時の少し前に店の前に立っているとシゲさんが現れた。 「どうもどうも、少し回復しましたよ」 「それはよかった。でも無理しないようにしましょう」 昨夜と同じお掘り沿いの通りに面した大きなタイレストランに入った。 こんなふうにしてチェンマイ二日目は過ぎていった。そして、明日からがチェンマイ・マイラブの本番になろうとは、このとき予測さえしなかった。(オーバーですが) |
十四 |
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旅の八日目、十一月十二日、日本の浮世から離れて遥か遠くタイの北部チェンマイなんかで時間を気にせずにいると、今日が何曜日なのかも分からない。この感覚はすごく気持ちの良いもので、数年後の僕はおそらく、旅先をあちこちダラダラ移動しながら、「一体今日は何月何日で、何曜日なんだろう?」ってな日々が続くに違いないと思うのであった。 目覚まし時計などという代物もないので、自然に目が覚めてiphoneの時計を見ると午前十一時、ちょっと寝すぎだと焦ったりもするが、シャワーを浴びてからGREEN DAYSのカフェへ朝昼兼用の食事に出かけた。 店番の猫ちゃんに愛想を振りまいてから席に着き、今日は太巻きカテージチーズとチャイという洒落たメニューを注文したところ、これがめちゃくちゃ美味しくて感激、時間をかけて味わった。 部屋に戻って二時間ほど、一ヶ月後の締切が迫っている筑摩書房への原稿を書いた。しかし、旅先でこんなフワフワした気分では、重厚な小説などかけるはずもなく、いったんペンを投げて(厳密にはパソコンを閉じて)円をバーツに換金するために、ロイクロ通りにある「スーパーリッチ」という中国系の両替屋へ出向いた。 いくらレートが良いといっても、既に円安は続いていて、一年ほど前(2013年)は一万円が3100バーツ程度あったような気がするが(その半年ほど前に遡ると一万円が3500バーツ程度だったはず)、何と今回は2800バーツ程度しか手にできなかった。円安は旅行者にとっては辛いものである。 ブツブツ言いながらゲストハウスに戻り、小説の続きを書こうと思っていたら、オープンリビングのところに若い女の子がひとり「ポツン」といった風に座っていた。 「こんにちは〜」 「ああ、どうも、チワ〜」 言葉を交わすとイントネーションが関西風、バリバリの大阪人である僕は直ぐに分かった。 「ひとり旅?」 「そうです」 「関西?」 「大阪です」 「いいねぇ〜」(何がいいのか分からんが) てな言葉を交わしたが、どうもこころなし寂しげな様子に思えた。アニメで出てきそうな可愛い女の子なのだが、ひとり旅には何か事情があるのだろうか? こんな子を放っておくほど僕は馬鹿ではない、もしよければ今夜晩ご飯を一緒に食べないかとお誘いした。昨日体調を崩していたシゲさんも少しは回復しているだろうから、「友達が夕方ここに来るから、一緒に食べようよ」と言うと、「お願いします」と明るく笑って答える彼女、聞けば名前はIちゃんと言う、瞳がクリッと大きく、屈託のない笑顔の素敵な女の子であった。 「じゃあ、あとでこの場所に来てね」と言って僕は部屋に戻り、しばらく小説を書いていたが、再び飽きてきたのでタイマッサージを受けようと、あらためてロイクロ通りへ出た。 巨乳の女性が店先で手招きをするタイマッサージ店に引き寄せられる主体性のない僕、「フットマッサージ、ワンナワー」と無意識に言っていた。 肉感的なタイ人女性にフットマッサージをしてもらい、ロイクロ通りの往来を眺めながら夢見心地、フ〜とうたた寝をしたり目を覚ましたりしていると、何とさっきのIちゃんが僕の前を通り過ぎた。思わず手を振りニコッと笑うふたり、さっき知り合ったばかりなんだけど、これだから旅は面白い。 |
十五 ナイトバザール |
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旅の八日目、十一月十二日のつづき、本当はこの日チェックアウトして、昨年も数年前にも数日宿泊したバニラゲストハウス(Banilha)に移動する予定だった。バニラゲストハウスは旧市街から離れた郊外にあって、周りはチェンマイ市民の住宅街、近くに市場や屋台通りがあるが、概して周辺が静かで落ち着くから、僕のお気に入りの宿である。 Banilhaゲストハウス⇒ http://www.banilah.com/ でも、この日はシゲさんが今の宿からGREEN DAYSに移動してくるし、この日知り合った大阪のIちゃんが可愛かったこともあるし(笑)、この際今回はずっとここに泊まろうかなと思って、急遽バニラゲストハウスにキャンセルメールを送った。すぐに返信が来て、「残念ですけどまたの機会をお待ちしています」とあった。そしてGREEN DAYSのカフェへ行って、オーナーの敦子さんに「あと三泊かまいませんか?」と延長を申し出た。 「大丈夫ですよ」とニッコリ微笑んで了解してくれる敦子さん、いい人だなぁ。 ゲストハウスに戻る頃にはチェンマイの街にも陽が沈む時刻が近づいており、街の人々や旅行者たちが、今宵もいかに人生を楽しく、そして人間らしく過ごすべきかという哲学的思考に入り始めていた。 今夜は昨夜に引き続きシゲさんと夕食を取る予定になっていたので、宿は移動せずにGREEN DAYSに引き続き泊まりますとLineを送った。するとすぐに「GREEN DAYSにチェックインしたところです。了解しました」と返事が返ってきた。 「ロビーに可愛い女の子と一緒にいますよ」 「おっ、すぐに行きます」とシゲさんのメッセージ。 しばらくIちゃんとロビーのソファーに座って色々と話をした。彼女は大阪の高級タイ料理店・マンゴツリーで働いていて、タイは初めての訪問、バンコクにあるマンゴツリー本店を覗いて、そこのタイ人従業員からチェンマイの友人を紹介してもらったらしく、その男性と明日はチェンマイ郊外を案内してもらう予定とのことだった。 「バンコクで二泊ほどしてチェンマイに来たんです。マンゴツリーの本店で、少し社員割引してもらって食べました」 「へー、マンゴツリーって知らないなぁ。帰国したら一度行ってみるよ。東京にもあるのかな?」 「もちろんありますよ〜」 「マンゴツリーと、バンコクではもう一軒、日本人のやってる小さなレストランへ行きましたよ」 「そうなんや〜」 このときは、そのもう一軒の日本人経営のレストランが、僕の友人の店でラチャプラロップにある「長月」とは思いもよらなかったが、それがこの旅行記の先で判明するのであった。(笑) さて、そんな会話をしているとシゲさんが現れた。 「おっ、女の子」 「こんにちは〜、Iです」 今宵はボクとシゲさんという野郎ふたりではなく、Iちゃんを交えての晩ご飯と相成ったのでありました。早速出かける。 「ナイトバザールの方にちょっといい感じのタイ料理店があるんですよ。いつもの店より少し高いかも知れませんが、行ってみませんか」 シゲさんの提案でナイトバザール通りヘ向かった。ロイクロ通りを二百メートルほど東へ歩き、スターバックスの角を右折して向かい側へ渡るとナイトバザールのメインの場所とアヌサーン市場がある。しかし、おそらく平日(曜日の感覚が失せてました)なのにすごい人である。 「すごーい。いっぱいお店がありますね〜」 Iちゃんは瞳をクルクル回して驚きながらも嬉しそうにしていた。シゲさんは昨年もこのあたりに何度か来ているようで、慣れた感じで「あの店ですよ」と僕たちを案内した。 確かにキチンとしたタイ料理店で、広いスペースの店内はかなりの客で既に賑わっていた。早速ビアチャーンで乾杯、空芯菜炒め、トムヤンクン、海老のすり身のさつま揚げ、カオソーイ、それにもちろんソムタムとカオニャオを注文した。そしてここの料理がすべてそこそこボリュームがあって、しかも猛烈に美味しい。 「こりゃ旨いですね、やっとチェンマイで本格的タイ料理にありついた感じですよ」 「美味しい〜、最高〜」とIちゃんも食べそして飲む。 「マンゴツリーとどっちが美味しい?」 「うーん、やっぱり本場のこっちかなぁ?」 小一時間ほどビールを飲みながら手を休めることなく、日本でのそれぞれの状況や苦悩や(笑)、今回の旅の目的などをああでもないこうでもないなどと語り合った。初対面のIちゃんは、明るくよく喋り、屈託のない笑顔が素敵な女の子、旅って面白いなぁと改めて思う。 店を出て少し市場やバザール内をウロウロした。すると広いバザール会場の一角で猛烈なセクシー女性がふたり、まわりに愛嬌を振りまきエロいフェロモンを発していた。でも一見して女性ではないことが分かった。 「写真撮ってもらおう」 Iちゃんは臆することなく彼女たち?に近づき、一緒に写真を撮ってもらっていた。僕もやっぱり彼女或いは彼らには少し興味がないわけではない。「一緒に撮って!」と百バーツ紙幣を二枚渡し、ふたりの間に挟まれ、巨乳に目を奪われたりもしながらも、激エロなショットを撮ってもらったのであった。 チェンマイの夜、ナイトバザールのエロい時間は更けていった。 |
十六 ワット・ムーングンゴーン |
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旅の九日目、十一月十三日、昨夜はナイトバザール界隈でミスターレディさんのエロに引き込まれ、巨乳に目玉が飛び出し、挙句は百バーツ紙幣を握り締めて一緒に写真を撮ってもらうなど、いい歳をしてあまりのはしゃぎ過ぎに、今朝は多少の反省心に襲われた。 昨日知り合ったIちゃんは、タイ人の知り合いの知り合いに(ややこしいな)チェンマイ市内や郊外を案内してもらうらしく、朝早くから観光に出かけたようだし、シゲさんは真面目にタイ古式マッサージ学校へ行っている。 そんな状況下に於いて、僕ひとりがダラダラと、このチェンマイで煩悩にまみれたまま時間の経過をぼんやりと眺めているのは、これはもう人非人に等しいのではあるまいかと思い、意を決してベッドから飛び出した。(猛烈にオーバーだが) 昨夜はしゃぎすぎた罰としてGREEN DAYSのカフェで結構な朝食をとらず、自己制裁のためにゲストハウスのキッチンでお湯を沸かし、買っておいたインスタントラーメンを食べ、ネスカフェのコーヒーを飲んだ。タイのインスタントラーメンは1食分が4バーツ程度(15円ほど)と安く、それに辛くて美味しい。 さて、目指すはワット・ムーングンゴーン、このお寺は2009年に公開された、小林聡美さん主演の映画「プール」にも登場する涅槃仏(寝仏)で有名である。ロイクロ通りを旧市街に向けてズンズン歩き、お掘りに突き当たればそこを超えて旧市街に入り、ラーチャマンカ通りをさらにズンズンと歩く。 サムラン通りとの交差点を左折して少し路地に入ったあたりのはずだが、ちょっと道に迷ってしまった。 「あっちって、どっちやねん?」 しばらく大将が指さした方向へ歩くと道が左右に分かれていた。右方向へ曲がり少し歩くと、突然目の前に寺院の側面が現れた。正面入口ではなく、勝手口のようなところだろうか、そこから入った。 側面から入ったので、すぐに目的とする寝仏様がお寝になっていらっしゃる建物が見えた。早速サンダルを脱いで入る。 バンコクのワットポーの寝仏様とは大きさの面で比較にはならないが、小さい仏様だと逆に親近感を感じる。いつものことなのだが、仏様の前に跪くと何故か胸にこみ上げる感情が湧き起こり、自然と涙が流れてくる。不思議なことである。 昨夜、エロに惑わされた煩悩を懺悔し、日本で生きている病床の妻と息子ふたりの健康と平和、そして僕との人間関係に足を踏み入れていると認識している人々の健康と平和、そして最後に僕の次の出版と売れることへの祈願をし、些少のお布施を箱に入れて寝仏様にお別れをした。 境内には寝仏様を守る弟子たちが建物を取り囲み、それがまた可愛らしくて、このようなお寺は日本には絶対見られないのが残念にも思うのであった。タイの寺院は訪れるだけでこころが落ち着き、寺院によって異なる建物の特徴もあって楽しめる。今回の旅でも、バンコクのワットポーを訪ねているが、この先チェンマイでいくつかの寺院を訪れ、さらにバンコクに帰ってからも、あの地獄寺を訪ねましたからご期待下さいね。 さて、日差しも強くなってきたのでいったん宿の方向に戻ることにした。まだ左膝の痛みは完全には取れないが、この日は既に一時間以上も歩いていた。 つづく・・・ |